「世界に一つだけの花」SMAP(槇原敬之)

投稿者: としぼん 投稿日時:2009/07/01
カテゴリー:【J−POP】 【としぼんのおすすめ】 【おすすめ度:☆

 私は、この楽曲が嫌いだ!!

 国民的アイドルが歌唱し、それこそ国営放送の年末行事のトリにまで採用され、商業的に大成功を収めた楽曲ではあるが、楽曲に盛り込まれたメッセージの本質が奇異に感じられ、受け付けないのだ。

 「世界に一つだけの花」は、SMAP最大のヒット曲である。そして問題曲でもある。SMAPは、本当にこの楽曲の意味を捉えて歌ったのだろうか。おそらくそうではないだろう。日常的に行ってきた、目の前に出された仕事の一貫として行った作品であると考えなければ、こんな楽曲歌えない。

SMAPの所属事務所は、目を付けたアーティストに楽曲を提供させ、彼らのなんとも言えないコーラスワークを乗せて世に送り出すことを得意としている。音楽が好きな人なら、彼らの歌唱力、音程が、非常にきわどいことはわかるだろう。しかし、そこはパフォーマンスであったり、メディア戦略であったり、巧みに欠点をカバーし、ヒットを重ねてきた実績があり、彼らや事務所の必死の努力が垣間見える。それを否定する気はない。

彼らを好きな人がいて、彼らを支えている姿は、美しい。
だが、彼らのことが好きならば、きちんと楽曲の本質まで聴いてあげるべきだ。
そして、きちんと聴くと、おかしさに気がつくはずだ。
「努力を怠ったオンリーワン」が、その本質である。

 私なりの歌詞の要約は、「花屋の店先に並んだ花を眺めてみているけど、どれもきれいだなぁ。僕は美しさを争わない花に共感するな。人間も花のように1番だなんて決めないで、それぞれが協調していけば、とてもいい世界になるのに。僕は花のように自分らしさを育てていこう。」である。

 この要約はとても奇異に感じないだろうか。あまりにも能天気というか、「どんなときも自分が好きなものは好きと言える」槇原の自分大好き病が炸裂している。

 そもそも花屋の店先に並んだ花は、競争社会を勝ち抜いた花である。種の選別、花の間引き、人間基準の美しさの前に犠牲になった花たちなのである。その前に立って「どれも争わないで美しいなぁ」なんて、よほどの感性でなければ言えない。
 そして、「人間もその花のようにそれぞれの種(自分らしさ)を育てればいいじゃない、No.1にならなくてもいいんだよ」とさえ言いきってしまう。

 たしかに個性は大切である。自分らしさを育てるのも大切だろう。
ただ、そんなことは言われなくてもわかっている。自分が自分であることは、自分にとって何よりもかえがたい大前提だからだ。
また端からNo.1になる気概を捨てるなど、間違っている。自分らしさの殻に閉じこもり、自分しか愛せない人間に他者を思いやる気持ちなど持てるだろうか。否。槇原の描く理想の社会は、虚言である。

 人間は競争原理の中で歴史を描き、紆余曲折しながらも「善」に向かって進んでいる。競争原理とは一番を目指すことだ。ただ、一番の栄冠は一人しか味わえないものである。ほとんどの人間は「勝ち負け」でいうならば「負け」である。しかし、だからと言って人間は腐らない。その努力の過程で得るものや向上心はその人間に深みを与えるからだ。
 そして「負け」た人間は相手を思いやる心を知る。自分が辛いこと、苦しいこと、それらを経験して初めて、他者の気持ちを察することができるのである。
 
「No.1を目指して負けること」は人間にとって必要不可欠なことだ。
それを上辺だけの言葉で、さらっと否定して「自分大好き!」と言えることが私には信じられないのだ。
 

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