「僕が僕であるために」Mr.Children

投稿者: としぼん 投稿日時:2006/08/28
カテゴリー:【J−POP】 【としぼんのおすすめ】 【おすすめ度:☆☆☆☆

この曲のオリジナルは、尾崎豊の金字塔的アルバル「十七歳の地図」の最後に収録されている。私を含めた、尾崎豊をリアルに認識していない世代にとって、尾崎豊と聞けば、短絡的に「盗んだバイクで走り出すんでしょ?」「校舎の窓ガラス割ったりして?」「十代のカリスマ」「亡くなり方が変だったんだよね」と考えてしまう。そういったマスコミが作り上げたとも思える言葉を取り除いて、尾崎豊を理解しようと思えば、直接CDを聴けばいいと私は思う。

 この「十七歳の地図」の中には、「15の夜」のような痛烈な歌詞もあれば、「I LOVE YOU」のような愛を囁く歌詞もある。さまざまな表情を見せる「十七歳の地図」であるが、その本質は、十代独特の心の葛藤を描いた歌詞にあると思う。「僕が僕であるために」とは、まさにアイデンティティーの確立であり、まさに十代の誰もが体験することである。

 サビの部分に「正しいものは何なのか」「僕は街にのまれて 少し心許しながら」といったフレーズがある。前者は、まさに心の中の葛藤であり、世の中の汚い部分が見え始めた頃に感じるものである。「こんな街は嫌だ」と足掻く主人公が映り、そして後者では、冷たい街の中でも自分が生きていかなければならないと決心した姿が見える。その姿が映し出されるのは「少し」という2文字の言葉によって、十代の本質を突いているからである。この「少し」があるなしでは、歌詞の重要度が変わってくる。あることによって、自己の覚醒と確立に苦悩している主人公、わかりはじめた大きな外の世界の1部を甘受しようとする姿が鮮やかに表現されるからである。

 さて、この名曲を2004年に、Mr. Childrenがカバーした。この頃のMr.Childrenと言えば、十代の青臭さを歌うというよりも、家族愛、人類愛、人間の汚さへのバッシングなど社会性が帯び始めていた時期である。個人的に、Mr.Childrenが十代の青臭さはもう歌うことはないのかなと思っていたので、青臭さ代表とも言える「僕が僕であるために」をカバーすることに、その意味での裏切りと、あまりにもハマった編曲に驚いた。サウンド面としては、尾崎のレコーディングから、20年の歳月が流れているため、さすがに音の厚さが違う。十数年間日本音楽界のトップを走り続けるMr.Childrenの方が技能的にも上に思える。しかし、こういった比較をするよりも、Mr.Childrenの桜井和寿氏の歌声を通じて、尾崎豊のメッセージが再び色づけされたことを感じる方がいいのかもしれない。


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